いのち | INTRA DIALOGUE

いのち

今,家にいる一匹の猫が苦しんでます。


プロフィールの所に写真を載せている猫です。

今年で,十五歳になります。


猫としては,かなりの高齢で,

これだけ生きただけでも大往生だと思います。


ここ一週間口の中の出来物を痛がり,

何も食べられていません。

水もろくに飲めない状態です。

多分,口内にガンが出来ているのだと思います。


動物病院で,

栄養剤の注射をうってもらい,

また,栄養価の高い液体を口からスポイトで注いで,

何とか生きながらえていました。


でも,今日,大学から帰ってくると,

父親が「血を吐いて,何も飲めない」と言いました。


近くに寄ると,目はまだしっかりしています。

でも,朝よりも著しく精気が衰えているように見えます。


そっと撫でると,もう骨ばってガリガリの体。



この猫は,僕が初めて飼った猫で,

僕が小学校四年の時に,家にきました。


僕が最も多感だった時期を共に過ごし,

いつも当たり前にそこにいた猫です。

家族の中で,なぜか僕の傍に来る猫でした。


小学校の時,友達関係で苦しんだ時,

中学で成績ががた落ちして親と常に言い争っていた時,

中学で父親が病気で死にかけて半年入院してた時,

その介護の反動で母親が倒れて入院してた時,

高校で野球部を辞めて人間関係に苦しんだ時,

飼っていた他の猫が事故にあって,病気でしんで,新しい猫がやってきて,また去っていって,その一部始終をずって一緒に見守り,また,見送ってきた時々,

高校で彼女を家に連れてきて,ずっと,部屋に一緒にいた時,

浪人して,無気力に人生の底を歩いていた時,

駅でギターを持って歌っていた時,

僕の人生の再スタートを切って,大学で勉強を始めた時,

そして今も,


ずっとそこに一緒にいた。

ほんとに当たり前にいた。

そして,今もまだいる。


一つのいのちの終わりを感じたのは,数年前だと思う。

僕が修士課程の院を受けるとき,

この猫が生きている間に僕がこれまでで一番努力した成果を見せたいと思ったことを覚えている。

そして,僕は,何とかその成果を見せれたと思った。

だから,その後,冗談めかして,「これでいつ死んでも,弔いは終わったな」なんて言ったりした。


でも,人は貪欲だ。

いのちが永遠に続いてほしいって思う。

3日前もそう,

口が痛くて,水が飲めない状態だけど,

顔を傾ければ,まだ自分の力で飲めることを発見した時,

これで,まだ,自力で生きていける。

このまま,水さえ飲んでいたら,もしかしたら,自然に良くなるだろうと少し希望を抱いた。


ただ,生きていてほしい。

消えてしまったら,それは,過去になってしまう。

僕自身の歴史の大事な証人なんだ。

同じ時代を共に生きてきた大事な友なんだ。

僕を置いていかないでほしい。

また,夜中に僕の部屋の扉を爪で引っかいて起こしてほしい。

僕がランドセルをかついで学校から帰ってきたら,喜んで,近くに駆け寄ってきてほしい。


でも,きっと,僕の今回の受験の結果まではちょっと生きるのはむずかしいだろう。

もう,僕の努力を見せることもできない。


僕は,何をすればいい。

僕に出来るのは,撫でること,話しかけること。

でも,駄目だ,どうしても涙が出てしまって。

今は,まだ,そのいのちが続いていることを,何よりも喜べばいいのに。

そのいのちが消えることなんて,消えた後考えればいいことなのに。