INTRA DIALOGUE -6ページ目

ゆめのあと

昨日,

一時間半のかなり濃密な発表を終えて,

疲労困憊と開放感が混じり合う中,

友達数人と待ち合わせて中学の同窓会の会場に行きました。

成人式以来だから,5年ぶりの同窓会です。


少し遅刻して会場に入ると,

黒髪の清潔感溢れる男の人たちと,

完璧な化粧をした華やかな女の人たちで賑わっていて,

調度,乾杯の音頭が取られるところでした。

参加人数を聞くと,学年全体で180人くらいいた中の70人くらいだったようです。


立食形式だったのですが,最初の方は,しらふだったし,少し緊張していたし,

また,女性の方が化粧でだいぶ見た目が変わっていて誰か分からなかったので,

端の席に座って,男6人くらいでしゃべっていました。


でも,アルコールが進んでくると緊張もほぐれ,

段々誰が誰か分かる様になってきて,男女色々な人と話すことが出来ました。


男の方は,皆,立派な社会人でした。

多分,学年全体では働いて無い人もいるのだろうけど,そういう人は,同窓会に参加していないようでした。

昔は遊び人だった人,地味で堅実だった人,皆,短い黒髪でそれぞれが一生懸命働いているようでした。

中には,新しい家族を築き,立派な父親になっている人もいました。

皆が穏やかで,強く主張しておかなければ,自分を保っていられなかった,あの頃が嘘のよう。

皆の穏やかな笑顔,凄く印象的でした。


女の方は,ともかく皆綺麗になっていました。

24,25って言ったら,人生の中で,一番油が乗っている時期なのかもしれません。

話した中で特に印象に残ってるのは3人。


1人目は,家が2軒隣だった,小学校からの幼馴染。

小学校1年の時にそれぞれ引っ越してきて,それから,ずっと仲良しでした。

こっちは男二人兄弟,向こうは,男女一人ずつの二人兄弟,家族ぐるみの付き合いをしていました。

でも,自分の性別を意識しだす時期,小学校四年位だったでしょうか。

段々と遊ばなくなりました。一緒だった塾も辞めたし。

中学に入ると,お兄さんも妹も,段々荒れ始めて,中3で同じクラスになったときもあまり話しませんでした。

何でそんなに変わってしまったのか,当時は不思議には思ったけど理由が分かりませんでした。

後で,知ったんですが,小6の時,両親が離婚していたのだそうです。

その後も両親はずっと同居していたので全く気づきませんでした。

その妹も既に子持ち。成人式の時に既にお腹大きかった。

今は,介護の仕事をしてバリバリ働いているようです。

お兄さんの事を聞いたら,お兄さんはぐれた延長で今ヤクザになっているそうです。

昔から,友達思い,僕ら歳した思いの優しい人でした。

きっとヤクザになっても,凄く義理人情に厚い人柄のままなんだと思います。


2人目は,小5の時の初恋の人で,それから,中3の最初までずっと好きでした。

その子は,かなりもてたので,当時,物静かだった僕の恋が成就することは無かったのですが。

恐らく,僕の人生の中で,あれほど他者に熱を上げた時期はありません。

きっと,あそこまで深く思い慕った経験があったから,その反動で,

今こんなにドライになってしまったんでしょう。

彼女は,帰国子女だったので,英語やドイツ語が達者でした。

今は,ドイツ語を生かして海外の航空会社の客室乗務員をしているそうです。

で,シンガポールに在住していて,同窓会の為に帰国したそうです。

中学の時は緊張してぎこちなく話すことしか出来なかったけど,

昨日はもう,大人同士の会話になっていました。


3人目は,中3の時の途中から気になっていた子で,

やっぱり,思いは成就しなかったんですが,

僕の中で,今に至るまで理想化された人です。

穏やかな性格と,可憐な外見で,どこか,人を安心させる力を持っている人です。

実は,中学の時はあまり話す機会が無かったので,それほど深くその人のことは知ってはいないのですが,中学生ってそんなもんですよね。

でも,昨日は結構話したように思えます。

やはり,変わらずに穏やかな口調で,心を穏やかにする雰囲気はそのままでした。

今は保育士をしているそうです。

話せて良かった本当に思います。



僕は二次会まで,全員で池袋で過ごして,

三次会は,地元で中の良い友達だけで,こじんまりとやったので,

そこで,多くの人と別れてしまいました。


地元の街,いつものメンバー,時間は日常のテンポを取り戻りつつありました。

でも,僕らは確かに,10年前,昨日過ごした大勢の人たちの中にいて,

そこには,酷く未熟で,変に神経質だった自分があったのです。

皆が,当時の面影を背負いつつも,予測もつかないようなダイナミックな人生の軌跡を描くのを見て,

僕は,時間を踏みしめながらも,力強く生きていく人間の存在そのものを感じ取らずにはいられませんでした。


僕ら1人1人は,長い一本の糸で,それが,時に出会ったり,離れたり,こんがらがったりして今ここに生きています。

僕は,そこに広がる一枚の織物のメタファーを感じ取らずには,

また,それがオートポエティックに,

更に大きく広がっていく未来を予期せずにはいられなかったのです。

何か忙しい

今週は何故か,

阪神の行方についていけないくらいに忙しい。


ちなみに今日も負けたみたいね。

明日以降は,初回でもJFK投入するくらいの勢いで頑張ってほしい。



さて,なぜ忙しいかというと,

土曜に公式の研究会での発表があるからです。

そこは,持ち時間が長く,1時間半はしゃべらなければなりません。

修論の経過を発表する予定ですが,ちょっと間が持ちそうにありません。

ということで,今,さらに理論的な話を増やそうとアイデアを搾り出している状態です。

でも,煮詰めずに理論の話するととてもお寒いことになる可能性があるから,ちょっと怖いです。


多分,発表するからには,

何かかましてやろうという根性が,

いつも自らハードルを高くして,苦しめているんだろうな。



でも,土曜はその後,

中学の同窓会があるからそれを楽しみに何とか乗り越えたいと思います。


卒業から今年で10年です。

皆立派な社会人です。

でも僕は何故か学生です。

逆にレアキャラで喜ばれるかもしれないな。

曲が溜まってきた

現在も地元で月一でバンドを続けています。


2月にベースが抜けた後,

新たなメンバーを加え,

オリジナル曲をやる4ピースのバンドとして再編成し,

早8ヶ月になります。


当初の目的は,一年でオリジナル10曲を目指そうということでした。


で,現在,8曲まで増やすことができました。

なかなかのペースです。


ちなみに,8曲中7曲が僕が作っていて,1曲が他のメンバーが作っています。

他のメンバーは社会人なので(一人はフリーターですが),なかなか曲を作る暇が無いようです。

院生はそこそこ時間があるので,気分転換がてらコンスタントに曲を書いています。


これなら,ライヴをやれる日も近いかな。


最近僕の中で徐々に音楽熱が再燃してきていまして,

何故かやる気が満ちています。


もし,今年,院試を滑ったら,

この歳でミュージシャンでも目指して,人生を転がり落ちるのも面白いかもしれません。


18の時,30まではフリーターでミュージシャン目指すとかのたまっていたことを思い出しました。

今24だから,当時の見通しではあと6年も猶予があるな。


何にしても無知とは恐ろしいものでも,力強さでもあります。

京都

一泊だけでしたが,

京都へ行ってまいりました。


東京と違って日差しがかなり強くて暑かったです。


今回の第一に目的は過去問を取りに行くことでしたが,

それとあわせて僕が受験する専攻の教授にもお会いしたり,

夜飲みに連れて行った頂いたりで,有意義な時間でした。


毎回,京都に行くと感じることは,

鴨川の土手の居心地の良さ。

多分,京都の院に入ったら,しょっちゅうあそこへ行ってボーっとするんだろうな。


京都は,どこか東京とは時間の流れる感覚が違います。

東京だとどうしてもせかせかしてしまうんですけど,京都は何処か緩やかなんですよね。


僕は以前から人生に疲れたらインドに行こうと思っているんですが,

京都でも十分かなと思いました。

博士課程進学自体が人生に疲れているようなものですから,

調度いいかもしれませんね。

老人ホームでの猫の事件

今日はもう一つ。


数日前に,ちょっと頭に来た事件があります。


埼玉の老人福祉施設で,

認知症で口が聞けない老人の足の指が五本全部切れて亡くなるという事件がありました。


施設側の説明では,犯人は猫だそうです。

猫が窓の隙間から入ってきて,指を五本食いちぎって行ったそうです。

その後警察により,犯人とされる猫は御用となり,保健所へ送られたそうです。


はい,ありえませんね。


猫は,人間の足の指など食べませんし,まして,五本きれいとはまた。


明らかに施設の虐待でしょう。

それを呆れた言い訳で猫のせいにして。

警察も警察。少しは疑いを持てよ。

少なくとも,猫が一匹ガス室送りになったんだから。



この事件,最初の報道以来,続報を見てませんが,

何か展開あったのでしょうか。

猫が殺されて終わりとかありえません。


のまネコ問題のように,動物愛護団体動かないかな。

一先ず,僕は許せません。