INTRA DIALOGUE -16ページ目

学会

何もしてないのに急にBlogのランキングが上がってる。
てか、上がりすぎです。
一体,何が起きたのでしょうか?


さて,今日は,
今月末に神戸で開かれる発達心理学会に行く為の手配をしてきました。
今回は,2泊3日,宿泊費込み・交通費込みで,
なんと13000円でおさまりました。
恐らく,東京発の人間の中では,
1,2を争う節約振りなのでは無いでしょうか。

節約した分は,神戸の観光に回したいと思います。
学会行くのに観光って何?,って感じですが,
気持ちは既に,ポートアイランドから遠く離れています。
ひとまず,何食べようかな?
やっぱり牛かな。神戸牛のステーキ。

ポスター発表九時からだから,寝過ごしたりして。
まあ,それでもいいや。

研究の道

最近Blogの更新が滞っておりました。
その理由は,少々勉強の方が忙しくなってきているからです。

修論の調査研究(今はデータ起こしと分析),学会の準備,学振の準備,
博士課程の研究計画,資格対策(心理とは無関係),文献購読,
英語の勉強(まだやってるのかよって感じですが,かれこれ4年くらい続けてます)を並行すると一日があっという間です。
効率良くやるのが下手なので,どうもいけません。

何にしても,今は修論の調査のデータ起こしが大変です。
少し手を抜くと,どんどん溜まっていきますから。
これは質的な研究をしている者の宿命ですね。

でも,今日は,ここ五年くらいの長期的な研究の展望を見通すヒントを掴めた気がして気分が良いです。パズルのピースが埋まった感じです。

周囲の研究者志望の人を見ると,未来が見通しがきかないがために,
気力を維持するのが難しくなっているように感じます。

研究の道は厳しいものですが,どこまでも,未来を見通す目を持ち続けることができれば,
きっと結果を残すことができるとのだと思います。

いないということ

既に何回か書いてきましたが,
やはり猫は帰ってきません。

猫はいないわけです。
この「いない」ということに対する,
一つの示唆を先日たまたま得ることができましたので,
ここに書くことにします。

先日,とある研究会で,
文化人類学者の方のある移動民に関する発表を聞きました。
移動民とは定住しない民族のことで,
例えば,遊牧民みたいな人たちを指します。

その人たちは,常に居住地を点々としています。
その人たちにとって,「いない」とは如何なるものであるのでしょうか。
その人たちは,絶え間ない移動の中で,出会っては別れる,
つまり,「いる」ことと「いない」ことが,
あまりにも当たり前に連続する状況を生きているのだそうです。

僕ら日本人からすると,
いないということは,行方不明ということは,
対象の死や苦痛を予期させます。
例えば,拉致被害者家族などは,
まさに生の希望と死の絶望の狭間でもがいているのだと思われます。

しかし,「いる」ことと「いない」ことの連続があまりに当たり前に生じる移動民にとって,
「いない」ということは如何なることなのでしょうか。
そのことについて,研究会でそれとなく質問してみました。

答えとしては,「いない」ということは,ただ別の場所にいるということで,
なんらネガティヴな意味とは結び付けられないのだそうです。
つまり,彼らにとって,「いる」ということは,共に生きていることを,
また再開によって生きていることを実感することであり,
「いない」ということは,
どこかで生きているということを実感することなのだそうです。
彼らは,ただ当たり前に,
生としての「いる」と「いない」を絶え間ない身体の移動の中で経験するのです。

この発表を聞いて,僕はどこか重荷が降ろせた気がしました。

確かに今,僕らは生きています。


長い旅の途中 僕らは出会った
君がいるときは
その体温に その眼差しに僕は生を実感し
君がいないときは
果てしなく胎動を続けているであろう君の身体の想像に
やはり同様に僕は生を実感したんだ
ここは 旅の途中
僕らはまた出会うかもしれないし 出会わないかもしれない
そのどちらかは分からないけど
いまここにあまりにも当たり前に生があったんだ
どこまでも移動を続ける二つの身体があったんだ

医療心理師について その2

読売の報道以来,公式のソースを離れ,様々なところで,
医療心理師に関する議論がなされてきているようです。

医療心理師は,これまで,何回も潰れてきているので,
今回もやはり,流れるのではと感じられてきたころに,
再び先日,公式に「三党合意のもと」という報道がなされました。
どうやら,にわかに進展しているようではあります。

ところで,今回の成立でやはり気になるのは,
臨床心理士との兼ね合いです。
学校は臨床心理士,病院は医療心理師という具合に,
両者は共存できるのでしょうか。
これまでの報道に対して,臨床心理士側のスタンスは,
それほど,肯定的では無いように思えます。
これは,臨床心理士側の危機感がそうさせているようにも思えます。
やはり,共存は難しいのでしょうか。

この二つの資格の将来を考えたとき,
今の学生はどのように進路を選択していけばいいのでしょうか。
これまでのように,ひとまず院へ,ということでも無くなるでしょうし。
とにもかくにも,制度の変革の真っ只中にいる今の学生は,
その見極めが難しいです。

これらのことは,僕自身の身の振りにはそれほど関わってこないのですが,
心理職を目指すこれからの学部生に対して,
進路について如何なるアドバイスをすべきか,
その点は僕もよく考えなければならないと感じています。

行方不明 その2

まだ猫は帰ってきません。
今,少し外を捜し歩いてきました。
明日の朝でまる四日になります。
今日も寒かったので,
だいぶ状況は厳しいと思います。

今回は,いなくなり方がおかしかったので,
1日目から,どうも嫌な感じはしていました。

いなくなったのは1歳の雄猫です。
体は大分大きくなったのですが,
べたべた人に甘える猫です。
声をかけると少し枯れた声でこたえます。

猫との付き合いも長いので,
猫それぞれに,個性があるがよく分かります。
これまで出会った猫は,皆それぞれに独自の性格を持っていました。

どんな生物も唯一無二の存在なんですよね。
だから,一匹一匹が凄く大事なんです。
消えてしまったらそれで終わりなんです。
他のもので代えることはできません。

何回目だろうか。
小学校のときに,初めて猫の失踪を経験して,
何日間も泣きながら捜し歩いたっけ。

いい歳だし,何匹も見送ってきているので,
もう涙はでないけど,それでも,やっぱり悲しいし,苦しいや。