INTRA DIALOGUE -2ページ目

一先ずは

色々迷ったけど,

先日,修論の審査も終わり,

一先ず修士課程修了はほぼ決定しました。


次は今月の20日にある,

博士課程入試の二次試験です。


この試験の結果で,

能力的に,僕に研究者として適正があるか否かが判断できると思います。


その結果を待って今後の進路について考えることにしたいと思います。


もう僕は「新卒」として就活することは出来ないけど,

今回の選択は間違えていなかったと思います。


人生には,効率性とか,要領の良さとかを度返しにしてでも守るべきものがあると思う。

もちろんそれは,才能が無いのに音楽を生業とすることに何時までもこだわってしまう人のように,

現実の見当がつかないのでは困るけど。

幸い僕にはまだ,いくつか未来を選択すべき余地が残されている。

ここ数週間

これほど自分自身が試された時期はこれまでなかった。

正直,心は完全に折れたし,未来展望も全く見通せていない。


でも,一つだけ確信が得られたことがある。

それは,答えは探すものではないということだ。


僕は,ゲーム世代なので,

小さい頃から,良くロールプレイングゲームなんかで謎解きをしてきた。

そこでは,すでに制作者側が答えを用意していて,

それを如何に解き明かすのかが醍醐味となる。


しかし,それを生身の人生にあてはめた時,

そこには大きな問題が生じるようになる。


現実には,答えなど無いからだ。


人間は能動的に何かを選び出し,それを経験していくことで,

初めて何かを分かった気になる。

経験の前に答えなど出ようも無い。


僕は,大きな誤ちを犯していた。

「答えを見つける→人生を選択する」,という思考の様式で,物事を捉えようとしていた。


答えは選択に先立って存在しているわけではないのだから,

当然,思考は頓挫することになる。


慎重さはもちろん大切だが,

それと,現実逃避とは紙一重だ。

時には大胆さが必要になる。

答えは常に遡及的に作られるからだ。

一貫性がないな

この前の二つのエントリー見て,

この一貫性の無さには自分でも呆れます。


モラトリアムもいいところだ。

死ねばもろとも

土壇場の土壇場です。

明日の朝,僕の修論取り下げが正式に決定します。


今日,指導教官に口答で伝えてきました。


その後,これまでお世話になった先輩と飲みに行き,

色々と研究について話をしました。

そうしたら,泣けてきてしまいました。

まだ,やり残したことが,たくさんあるからです。

情けなくて,仕方がありませんでした。


また,皆が経済的に苦労しながら,

何とか生活をしていることにも気づきました。

決して,僕だけが苦しんでいるのではないことを。


色々考えたら,僕にも,まだ研究を続けるだけの,

内から,湧いてくるような力が残っているように思えました。


死ぬきになれば,まだ,前に進めるのでは,そう思えました。


帰宅し,母親と話したところ,研究を続けてはと言われました。

家は,もう父親が65歳です。

早く独立しなければという気持ちで,これまで一杯でした。

でも,家族は,もしかしたら,そんなことを望んでいたのではないかもしれません。

本当にやりたいことに全力で取り組む姿を見せること,

そのことこそが一番他者を幸せにするのかもしれません。


ここから,一歩踏み出したところで,

今年,博士課程の試験に落ちるかもしれません。

でも,まだいける。

あと一年,何とか研究生をやりながらでもやっていけるかもしれない。


人生の中で本当に大切なものは何か。

そんなことを,探しています。


もう一歩だけ,あともう一歩だけ,前に進んでみたいと思えるようになりました。

でも,これは,大きな一歩です。

この一歩が,未来を切り開くのかもしれません。


僕を取り巻く人たちに,心から感謝をしたい。

もし,今日,僕が一人だったら,確実に修論をとりさげていました。


僕は,自分のへたれさ加減が嫌って程良く分かりました。

へたれはへたれなりに全力で生きて行きます。


死ねばもろともです。

決めました

しばらく あがいてみましたが,

やはり修士論文を取り下げて就留することにします。


ここ数週間で,

社会に出ることを強く意識してみたら,

如何に今まで何も見えていなかったのかが分かった気がします。


学部三年の頃,

marciaのアイデンティティ・ステイタスの追試研究に協力した時,

明確に修士課程進学を希望していたことを語ったことで,

アイデンティティ達成群に分類されたのを覚えています。

そのことを,当時,自信に感じていたのですが,

今思えばそれは全く浅はかでした。


自身の経済状況を考えれば,

そこには後数年間に限られた未来展望しか開かれていなかったのですから。

それは,自身のおかれた状況を直視することを先延ばしにした,

まさしく,モラトリアムの何物でもありません。


今,僕は,僕を取り巻くコンテクストと直面する中で,

再びアイデンティティを再構成することが必要になっています。

自己を振り返ってみると,

思いの他,社会に出る上で役に立つ物理的な要素(例えば資格)を持ち合わせてい無いことに気づきました。

また一方で,思いの他,この6年間が僕を成長させ,そこで築き上げた知恵と勤勉性と向上心とが,

まだ見えない未来を,恐らくは厳しい未来を切り開く力となるであろうことを実感しました。


僕は,この一年で僕自身の価値を社会に投げかけて見たいと思います。

それによって,これまで曖昧だったものが初めて明らかになる気がします。


さあ前に進むぞ。